益田晴夫 (プロドッグトレーナー)



SV訓練審査員試験

受験資格
●SV会員5年以上
●年齢30-50歳まで
●SchH1〜3を3頭以上、FHを最低1頭、自身が訓練して合格させた実績
●最低1回はSV訓練ジーガーランデス予選会以上の競技会に出場した実績

毎年3月にカッセルで行われるSVベーシックセミナー受講(これがスタート地点)

「私は2005年にWUSV審査員セミナー(ドイツ)と、2006年にSVベーシックセミナー(神戸)を受講したから、3月のベーシックセミ ナーを受講する必要はないですよね」と、SV訓練部長ディーゲル氏に尋ねると、「ダメダメ、例外は一切認めません」。(-_-) とほ ほ・・・。2007年の志願者(受験者)は、ドイツ人6人(男性4人、女性2人)、スウェーデン人、フランス人、益田、合計9人。

2007年3月8日(木) セミナー前日
SVベーシックセミナー受講のために、関西空港からアムステルダムを経由して、フランクフルトに21:40に到着。スウェーデンから参加 の友人ピエールが、フランクフルト空港に迎えにきてくれた。カッセルまでの200kmをピエールの車で走り、全受験者が宿泊するホテル に深夜24:00に到着。ピエールとビールを一杯だけ飲んでベッドに潜り込む。

2007年3月9日(金) セミナー1日目
朝、目覚めて食堂に行くと、ディーゲルSV訓練部長が、一人で朝食を食べていた。

益田 「おはようございます」

ディーゲル 「おはよう。いつ到着したんだい?」

益田 「昨夜、日本からフランクフルトに到着して、スウェーデンから車で来たピエールと合流して一緒に来ました。他の受講者も全 員、このホテルに泊まっているんですか?」

ディーゲル 「昨日から宿泊しているのは、遠方からの受講者だけで、今朝、直接、セミナー会場に到着する者は今晩からだ。ここは部 屋数の少ない小さいホテルだから、2名は違うホテルだ。私はセミナーの準備があるから先に行くよ」

益田 「セミナー会場のオルトグルッペ(SV公認練習場)はどう行くのですか?」

ディーゲル 「簡単だ。ホテルを出て右に真っ直ぐ行って、アウトバーンを越える陸橋を渡って左、しばらく行くとアウトバーン沿いに すぐに見えてくるよ」

益田 「わかりました。私も食事が済んだらすぐに行きます」

ディーゲルSV訓練部長が車で走り出したと同時に、ピエールが起きてきた。「あれっ、もう誰もいないの?」そう言って朝食をバクバク と食べ出した。のんきなヤツである。「セミナー会場への道順は聞いたから、俺たちも早く行こう」。そう言ってピエールを急かした。




3ヶ月の自習期間

6月、金曜日に筆記試験(100問)と、与えられたテーマで論文作成と発表。筆記試験合格(70%以上)の場合は、土日に審査員適性検 査(実際の訓練試験)が行われて、受験者は模擬審査(評価と点数はディーゲル試験官のもの)をして、2週間以内に、審査表と訓練試 験報告書とレポートを、ディーゲル試験官に提出)。

6月の全ての試験にパスすると、SV会報に訓練審査員候補として発表される。4週間以上、誰からも異議がなければ、次のステップに進 める。

3年以内に合計で最低30頭以上のSchH試験を、異なる5人のSV訓練審査員のもとで審査をして、毎回、2週間以内に、審査表と訓練試験 報告書とレポートを、そのSV審査員に提出する。そのSV審査員が合否を査定してSV本部に報告。SV本部から合格通知が届けば次の審査 員で受験することができる。

上記の審査員候補試験(5回)を全てパスすれば、SV訓練部長ディーゲル試験官による、最終試験を受験することができる。



史上初めてドイツ人以外でSV訓練審査員試験に合格!

2002年にギュンター・ディーゲル氏がSV訓練部長に就任して導入された、新SV訓練審査員試験は、ドイツ人以外の外国人に対しても、 例外は一切認められない厳しいもので(試験は全てドイツ語。協会の推薦は受け付けない)、現在までの8年間に16名の外国人がチャレ ンジしたが合格者は一人もいない。

その超難関の試験に、SV会員(22年)として自費で2007年3月から、個人でチャレンジしていた益田晴夫氏(京都)が、2010年2月5 日、ヨーロッパのスロベニアにおいて、SV訓練部長ディーゲル試験官の最終試験を見事にクリアして、ドイツ人以外で初めてSV訓練審 査員試験に合格した。(以上6行は犬界新聞社記事)


《SV訓練審査員最終試験》
昨年(2009年)の10月、ヨーロッパ滞在中に旧知の友人、スロベニア・ ドイツシェパード犬協会の会長、ハリーが、「SV審査員試験の進み具合 はどうだ?」と聞いてきた。「8月から10月までのヨーロッパ滞在2ヶ月 半の間に、ドイツで3回(計5回目)の試験に合格したから、あとはSV訓 練部長ディーゲル氏による最終試験(6回目)だけだ」と答えた。(最終 試験を受験するには、筆記試験と審査員適性試験の合格後、3年以内に異 なるSV審査員で5回の試験合格が必要)。

最終試験の受験方法はディーゲル氏が審査をする訓練試験を見つけて受験 するのだが、「私とディーゲル氏の予定がかみ合わない」と説明すると、 ハリーが、「いい考えがある!2010年2月6日、7日の土日にディーゲル 氏がスロベニアに来て審査員セミナーをする。前日の金曜日に俺のクラブ で、ディーゲル氏を審査員として、訓練試験をするように申請するからス ロベニアに来いよ」。ディーゲル氏とSV本部に問い合わせると、その訓 練試験を最終試験として認められた。

訓練試験終了後、クラブハウスにて
右からハリー、ディーゲル、防衛ヘルパー、益田

訓練試験は金曜日に行われたので、SV訓練試験規定に従い5頭が受験した(審査員が1日に審査できるのは土、日、祝日は10頭まで。金 曜日は午後から5頭まで)。最終試験とは、私の審査と挙動を、ディーゲル試験官が常に背後から審査するというもの。一頭の1課目(追 求、服従、防衛)の審査が終わるごとに、ディーゲル試験官に、自分の審査の評価と得点と何故そうなのかを素早く報告する。ディーゲ ル試験官の審査内容と比較して間違いがなければ、講評することを許される。そして、試験中のあらゆる重要ポイントで「次に審査員が すべきことは何ですか」と質問され、それに答えなくてはいけない。とまあ、こんな具合である。

訓練試験が終了して表彰式のときに、ディーゲル氏が「益田はSV訓練審査員試験の全課程を修了し、本日の最終試験も合格しました。新 しいSV審査員がアジアから誕生しました」と、スピーチすると、ハリーをはじめ、訓練試験に参加してくれた皆は自分のことのように喜 んでくれた。


最終試験での益田とディーゲル試験官の審査結果比較表
SchH1 GSD
SchH1 BMA
SchH1 BMA
SchH3 GSD
SchH3 GSD
益田
70 60 73 a M
性格テスト失格
85 83 94 a 262
94 83 90 a 267
90 78 71 vh 239
ディーゲル
70 60 71 a M
性格テスト失格
86 85 94 a 265
93 84 91 a 268
89 78 73 vh 240


《SV訓練審査員試験を終えて》
先ずは合格の喜びよりも、毎試験後、2週間以内にドイツ語で提出しなければならない、何十枚もの試験レポートと、全審査表を書く作 業から解放されることにほっとしております。しかし、この3年の受験中、それまでの何十倍の早さで、そして何十倍もの情報と知識を 学習できた充実感に溢れています。

2006年に犬界新聞社が主催した、SV審査員教育セミナーを受講したのが、私のSV審査員試験のスタート地点です。それまでも、SV審査 員になりたいという願望はありましたが、日本では訓練士は審査員になれない(させない?)というような逆風もあり、実際に行動を起 こせませんでした。しかし、セミナーの中でSV審査員になるための条件を全て理解できたときに、「よし、受験条件は全部クリアでき る。絶対にSV審査員になってやろう」と決意したのです。

ですから犬界新聞社には感謝しております(ドイツ語の学習と莫大な出費が渦巻くSV審査員試験という谷底の手前で、ためらっている私 の背中を押して、突き落としてくださったのは小野瀬社長です)。そして、WUSV日本支部、山田幸雄 理事長ならびに、植田敏明 理事 には、受験開始から今日まで一方ならぬご理解とご声援を頂いたことに感謝申し上げます。さらに、ご声援くださった皆様に紙面をお借 りして、お礼申し上げます「ありがとうございました!」


《SV公認訓練審査員として》
試験でのディーゲル氏の最後の質問は、「あなたはSV訓練審査員になったら何をしますか?」
益田 「私が学んだことを次の世代に伝授して、アジアで新しい審査員を育成します」
ディーゲル 「それは、私とSVが一番、望んでいた答えです」

現在、日本はWUSV加盟国であるが故に、ドイツシェパード原産協会であり、そしてWUSVの母団体であるSVから、さまざまな改革要請 と指導を受けています。その原因は犬界新聞の社説でも度々、解説されてきましたが、例えて言うなら「世界サッカー連盟の加盟協会で ありながら、野球大会を開催」という日本独自のやり方で長年やってきたツケ。それプラス、正しい情報(ドイツシェパードに対する本 当の審査基準、規定)を理解しようとしなかった、あるいは理解できなかった。という問題があったと私は考えます。

今から20年以上前、日本の訓練しか行っていなかった私が、ちょうどSVのSchH訓練に興味を持ちだした頃です。当時のSV訓練審査員、 四分一稔氏が、犬界新聞に寄稿なさったSV-SchH規定の和訳文をコピーして、常にポケットに入れて、何度も何度も繰り返し読んでいた ことを、今でもハッキリと覚えています。それからというものは、SchHとIPO一筋で今日まできました。そんな人間が増えていくよう に、私の今後の使命は今まで学んできた知識や、これからSV審査員として入ってくる情報を早く正確に、少しでも多くの皆さんにお伝え し、日本がWUSV加盟国として正しい道を歩んでいけるように尽力したいと思います。

16年前にドイツ政府が犬の防衛訓練を制限しようとしたときに、当時のSV訓練部長リューデナウアー氏が、その法案を阻止するための委 員会を立ち上げ、石油会社のスローガンを、そのまま委員会のスローガンとしました。
「さあ、すぐに始めよう!我々には成すべきことが沢山ある」。日本は今、まさにその時である。

2010年3月記